sora-satoのブログ

庄村聡泰さんについて自由気ままに語る[聡blog]です!

Enc.30 Where's My History? 後編【Untitled】

こんにちは。

宙組(そらぐみ)です。

 

今日は先日、幕張メッセにて行われたワンマンライブ「Where's My Yoyogi?」について書きたいと思います!こちらは後編です!

(前編はEnc.29へ)

 

noteという媒体で書いたものをこちらにも引っ張ってきました。

🔻

(前編の続き、Encから)

アンコールを求む大きな拍手。そしてしばらくしてから、モニターに電話の応答画面が映り、コールが何回か鳴った。そして電話に出ると、パソコンのデスクトップにリモート通話画面が映し出された。テレビ電話の先に映るように、演奏の様子が映し出される。センターステージにサポートキーボードのRose。花道の真ん中に川上。メインステージにリアド。上手の横に伸びたステージの先に白井。下手の横に伸びたステージの先に磯部。全員が離れて距離をとって演奏した『rooftop』。コロナ禍で直接的な触れ合いがなくなった切なさやもどかしさを歌った曲を、このような演出で届けたのには楽曲の世界観、緊急事態宣言下の様子を表す為だったのだろう。すぐ目の前の画面の先に愛しい人がいるはずなのに手を伸ばしても触れ合えない、あの曖昧な世界線が思い出されて、優しいメロディが、川上の温かい声が、ギュッと切ない気持ちにさせた。


そこから全員がメインステージに戻り、『Beast』、『風になって』と新曲を立て続けに披露した。エッジが効いたベースラインが映える前者と、ラフなメロディが心地よい後者。対照的な2曲が改めて[Alexandros]の振り幅の凄さを感じさせる。

 

そして、ここから(確か)MCなのだが…その時、隣の友人が目をまん丸に見開いて私の腕をそっと掴んできた。何かと思えば、友人は静かに、センターステージを指さした。

私が座っている席は割と前の方だったから、後ろを振り向く形で、恐る恐るセンターステージを見る。
すると、目に飛び込んできた光景に全身鳥肌が立った。

 

ずっと見続けてきたサトヤスの派手な黄色のドラムセットが、いつの間にかセンターステージに置かれていたのだ。2つのバスドラと、"少し"高いシンバル。(2018年夏にセットを改造した時にシンバルが少し低くなったかと思う。)
[Alexandros]のステージの差し色になってた真っ黄色の派手なドラムセットを見るだけで、サトヤスが自由自在に叩きまくってた光景が脳裏で再生された。涙がポロポロとこぼれてきた。

でも、彼はドラムを叩けないはずだ。なぜ、勇退する今日という日の最後にドラムセットが置かれているのか。「もしかして叩いてくれるんじゃないか?」何億回も願った期待の声が脳内で再生される。いや、でも、写真撮影をするのかな?オブジェとして置いたのかな?と、無理やり冷静になろうとするが、その気持ちとは相反して涙が頬を伝って止まらない。

 

すると、それまで遠くで聞こえていた川上の話す声が急に耳に飛び込んできた。

 

「サトヤス、呼びましょうか」

 

後方の客席から拍手が起きる。ごしごしと涙を拭いて、何とか後方に目をやると、相変わらず奇抜な服装のサトヤスが客席の合間を縫って歩いていた。大きなハットを被って俯き気味で歩いてるせいか、それとも私の視界が涙でぼやけてるせいか、表情はよく分からない。気づけば残りのメンバーも花道を歩いてセンターステージに向かい、サトヤスもセンターステージに登って、幕張メッセのど真ん中で4人が合流した。サトヤスを含めた4人が、再びステージに立ってくれたその光景が愛おしすぎて涙が止まらず、私のマスクを濡らした。(そこからお互いにハグとかをしていたらしいが、私はもう立つのもやっとなくらいフラフラと泣いていて全然見えてなかった…)

 

そしてなんと…。
サトヤスがゆっくりと、ドラムセットの前に座ったのだ。本当に叩いてくれるの…?という自分の期待からか、その仕草がスローモーションに見えた。


そしてその期待に応えるように、川上が静かにギターを鳴らす。選曲は『Untitled』。後日、サトヤス本人のInstagramには、選曲理由がこう書かれていた。

 

 

"

とある4人と、

 

それに関わってくれている全ての事、物、人、

 

もしも、その関係に題名をつけるとしたら?

 

考えても、

 

考えても、

 

そうしてしまうには、余りに素晴らしすぎて。

 

だから選ばせて貰いました。

 

"無題"って曲をね。

 

愛してるぜ[Alexandros]。

"

 


何か言葉をつけてしまえば、その事象にレッテルが貼られ表現の範囲が決められてしまう。そんなことが出来ないほど、定義付けられないほど、素晴らしかった全ての事、物、人に敬意を示すように綴られた言葉。恐らく他にも色んな理由があったと思うが、この選曲理由を読んで、胸が苦しくなるくらい、再び感動した。


『Untitled』は途中からドラムが入ってくる。先に白井のギターが鳴って、ワンフレーズ後に磯部のベースと一緒に、サトヤスがハイハットを刻んだ。サトヤスがドラムを叩いている。目の前で繰り広げられている光景は、まるで幻のようだった。

 

最後だと知らずに(むしろ復活祭だと思って)見ていた1年半前のさいたまスーパーアリーナ公演。あれが結果的に最後の彼のドラム姿、最後の4人での演奏になったことが非常に悔しかった。叶いもしない「一度だけでいいから、もう一度、みたい。聴きたい。」という願いをずっと持っていた。神様に縋る思いで、ジストニアを治してくれ、と思っていた。そんなふうに願っていた姿や音が、届けられていることに、心が震え、涙が止まらなかった。

 

サトヤスの局所性ジストニアの症状としては、右足に脳からの伝達がいかず、バスドラが思うように踏めない、ということだった。その為、上半身だけのドラム演奏かと思っていたが、Bメロに突入するとサトヤスのキックが、バスドラムが、鳴ったのだ。魔法がかかっているかのように、この1年半が嘘のように、確実なビートが、サトヤスのドラムが、確かに鳴っていた。タイムスリップしたかの如く当たり前のように、4人の姿で[Alexandros]の音楽を奏でていた。画面越しでもなくて、すぐそこで。同じ空間で。温度感のある生演奏。

 

サビになってサウンドが厚くなる。ドラムの手数も増える。一つ1つ、ゆっくり丁寧に。今まで鳴らしてきた4人の音を確認するように叩いていた。私の位置からは、彼らの"後ろ姿"が見える角度だったから表情は見えない。涙でびしょびしょになったタオルを握りながら、振り返って大きなモニターを見ると、そこに映し出されていたのは、表情を崩して、泣きながら最後のドラムを叩くサトヤスの勇姿だった。その勇姿を見て、私は泣き崩れた。

 

もう一度、4人の演奏が見れて嬉しい気持ち。そして、私には計り知れないくらい難しいだろうに、叩いてくれてありがとうの感謝の気持ち。でもこれが本当の最後だと分かっていながら見る、恐ろしく寂しい気持ち。こんな素敵な彼にジストニアを患わせた運命を、憎みたい気持ち。でもそんなことが失礼なくらい、ドラマーという肩書きを除いても庄村聡泰という人間が愛おしくてたまらない気持ち。[Alexandros]の音楽が、やっぱり大好きな気持ち。これまでサトヤスのドラムを何度も聴くことが出来て、出逢えて、幸せだという気持ち。色んな感情が次から次へと湧き上がってくる。まさに題名をつけることができないアンタイトルな感情に、ずっと涙を流しながら聴いた。この日、新たな彼らの名歴史が刻まれた。

 

最後の音が鳴り、演奏が終わる。
各々が楽器を置き、サトヤスは椅子から立ち上がった。そして長い長い花道を、いつかのライブの日と同じように4人で肩を組んで、煌びやかな照明を背負って歩いた。モニターに映し出されたのは、少年のような笑顔が光る3人と、笑顔が見えながらもハンカチで目を抑えるサトヤス。今まで4人で歩いてきた歴史を噛み締めるように、ゆっくりと、前を向いて花道を歩いた。

 

メインステージに辿り着くと、サトヤスはハットを取り、胸に当て、観客に向けて紳士な深いおじぎをする。そしてくるりと振り返って[Alexandros]を象徴する"[ ]"が大きく飾られたステージにも深く一礼をした。そして"お疲れ様、ありがとう"と言わんばかりの大きな拍手と、観客がすすり泣く音に包まれながら彼はステージから去っていった。

 

如何に彼が皆から愛されているか、そして今まで歩いてきた歴史と、これからの[Alexandros]に変わらぬ素敵な関係性があるか、それらがギュッと凝縮された数分だった。

 

しんみりとした空気の中、「[Alexandros]はこれからも続いていきます!」と川上が言うと、最後に新曲、『閃光』を派手なレーザー光線の元、痛烈に届けた。これだから[Alexandros]は。さすがだな。って思った。何があろうともバンドとして前に突き進んでいくスタンス、世界一を目指す信念は変わらない。サトヤスと一緒に歩んできた時間を背負って、それをしっかり引き継いで、これからの躍進を大きな会場できらびやかに提示した。眩しかった。

 

こうして、サトヤスは新たな人生へ、そして[Alexandros]も次のステージへ、晴れやかに突き進んでいく素晴らしき門出の日となった。

あの日の切ない程に美しい一つ一つの光景や楽曲を思い出しながらこの文を書いていて、思ったことがある。


[Alexandros]のこれまでの歴史を振り返って、その時々の彼等のエピソードを思い出すと共に、私の人生の歴史も思い返された。どの曲を聴いても、色んな思い出や景色、感動が詰まっている。如何に私のこれまでの歴史に、[Alexandros]、そして庄村聡泰が不可欠だったか。どんなときも[Alexandros]の音楽は私の人生に寄り添い、退屈な日々も彩ってくれていた。

 

そして、ハッと気づいた。

 

[Alexandros]の中に私の歴史もあるのだ。
つまり、『Where's My History?』の答えは、紛れもなく『[Alexandros]』だった。


これからも、[Alexandros]は突き進んでいくだろう。何歳になっても私の人生を彩ってもらおう。またこれから何十年もずっと、My Historyは、[Alexandros]にあってほしい。


そして改めて、庄村聡泰、10年間ありがとう。これからもよろしく!
Catch you later!

 

🔺

 

あの愛おしい光景を思い出すと、いつでも涙が零れてきます。

ありがとうとか、お疲れ様とか、これからも頑張ってねとか、応援してるとか、色んな言葉が脳内で錯綜するけれど、引っ括めると「大好きです」ということ。

今までも、これからも、庄村聡泰が大好きです。

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